公開日 : 2018/06/01 | 更新日 : 2018/06/22

施設番号 76  三鷹市山本有三記念館

6月1日の強行スケジュール、2ヶ所目は「三鷹市山本有三記念館」。

みたかシティバスというのが目の前にとまるみたいですが、今回は車で向かいました。

周りの洋館も素敵でしたが、中でもひときわ目立つ洋館が、今回の目的地「三鷹市山本有三記念館」です。

この記念館のユニークポイントは、文化財レベルの建物の中に記念館があること、です。

以前行った「古賀政男音楽博物館」の邸宅がそのまま全部残っていて記念館になっている、くらいの迫力がありました。

古賀さんの所ほどの”当時の椅子すわり放題!さわり放題!”状態ではないものの、フラッシュでなければ写真OK、物を書くのもOKというなかなか太っ腹な記念館でした。

少し残念なのは、山本有三さんご本人が依頼して建てた邸宅ではなく、大正15年に貿易商の清田龍之介が別荘として建てたものを有三さんが1936年に後から所有し、住んだという点。

だから音符柄の階段や窓ガラスなど、ご本人の想いが凝縮された古賀政男さん邸のような、随所に山本有三さんらしさ満載の建物、というわけではありません。

さらに、戦後1946年に進駐軍に接収され、1953年から国立国語研究所として利用され、1958年から都立「有三青少年文庫」として永らく図書館として活用されていたという経緯もあり、内部に居住感はほぼありません。

面白いのが、二階にある和室書斎だけに有三さんらしさと居住感が残っています。

なぜだろうと思ったところ、
1956年、東京都に建物を寄贈した際に、 この部屋のみ長男宅に移築されていたんですね。

洋館の創建当時は洋室だったのを、有三さんが数寄屋風の和室に改造し、書斎として使っていました。
有三さんは1974年1月に亡くなっているので、おそらく、移築後もご本人が使われていたのかなと思います。

わざわざ移築したくらいなので、相当お気に入りの空間だったと思われます。

1985年に三鷹市への移管の際に再移築・復元したとのことで、江戸東京たてもの園などでも感じますが、部屋や家を移築できるってすごい技術だなと思ってしまいます。

実は我が家は、ソニー第二開発部の、父の部下達が総力を結集して造りあげた超ハイテク仕様で面白い仕掛けが満載の一軒家だったのですが、それも世が世なら、公開されていたかもしれませんね。

所蔵品に関しては、受付の学芸員の方からとても興味深いお話を伺うことができました。

さきほども書いたように、1956年に東京都に建物を寄贈した関係で、山本有三さんが亡くなった際には、ご遺族は遺品一式を東京都に寄贈しています。

そして、様々な経緯から、1985年に三鷹市に移管した際に、遺品もすべて三鷹市に移管しようとしたのです。

ところが、いざ調べたところ、なんと大部分の所在がわからなくなっていました。
遺族としては、自分のところで管理するよりは安心だろうと都にまかせたはずなのに。

確かに、遺族の手から離して誰かに託すって、そういうこともありえるんですよね…。
勉強になります!

そんなこんなで、現在記念館には、それほど多くの収蔵品はないのだそうです。

そして、三鷹市に移管した後も、市営ということで、リニューアルの仕方等々、制限がたくさんあり、なかなか思い通りに進まず、困ることも多いとのこと。

経営財源もそこまで潤沢ではないため、つい最近、改修工事の費用をクラウドファンディングで集めたり(→ 外部サイト)、床磨き等の日々の建物メンテナンスにも弛まぬ努力が続けられているそうです。

せっかくの機会なので、「どうやって収蔵品管理の方法等の知識を得ているのですか?」と伺ったところ、同じような記念館同士が集まる会合があるそうで、そこで学芸員同士が自分のところで試して良かったことなどを話し合ったりするそうです。

また、新しく記念館をオープンしようとしている方が、参考にしようとこの記念館に訪れるケースも結構あるそうです。
それゆえ、今回のようなこみいった質問にもすらすら答えていただけたのですね。

この記念館は、遺族が市に寄贈し、市営で保存公開というパターンですね。

他の記念館では、内部の実情を伺ったことがなかったので(新宿区立漱石山房記念館では、たまたま内部事情に詳しい方から話を伺うことができました)、寄贈することで保存公開される良さばかりを感じていましたが、寄贈するがゆえの問題点も少し知ることができました。

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