インタビュー公開日:2020/01/14 | 更新日:2019/12/28

世田谷文学館

  • 施設の正式名称 : 世田谷区立世田谷文学館
  • 愛称 : セタブン
  • 施設の住所 : 日本, 東京都世田谷区南烏山1-10-10
  • 施設の連絡先 : 03-5374-9111
  • 施設の形 : 区立博物館
  • 所有者 : 世田谷区
  • 運営母体 : 公益財団法人 せたがや文化財団(指定管理者)
  • 運営母体の連絡先 : 03-5432-1501(せたがや文化財団)
  • 料金体系 : 有料
  • イヤホンガイド : 無(企画によっては有)
  • 予約の必要 : 無(団体の場合は有)

※ 掲載当時と情報が異なっている場合がありますので、開館時間、休館日、イベント等、正確な最新情報は公式URLをご覧ください

この施設の設立趣旨

「区民が文学に関する知識を深めるとともに、自らが学び、創造し、交流することにより教育・文化の振興と豊かな地域社会の形成に寄与するため世田谷文学館を設置しました。」
(世田谷文学館 概要より)


以下、interviewee:佐野様(世田谷文学館 学芸員)、interviewer:木原(フィールドアーカイヴ 代表)

質問1:この記念館ができたきっかけ、なぜここに建てられたのかを教えてください

きっかけは、1986(昭和61)年に行なわれた「”世田谷文化会議”-21世紀の文化市世田谷をめざすために-」で、文学館等を建設することが提言されたことです。

建設候補地となったのが、武蔵野の昔ながらの自然の名残りをとどめる現在の場所です。
この場所は、株式会社ウテナの工場跡地でしたが、再開発でマンション群建設構想が進む中、一部を文化施設にとの要望を地域の方々からいただいたこと。そして、文学館建設予定地の確保が困難であったことなどが理由で、この場所に建てられたと聞いています。

当初、ウテナが文化・芸術活動に貢献する”企業メセナ”という形で、「文学館基本構想検討委員会」から区が答申を受けた基本構想をもとに、博物館の機能を満たした施設を建てて、土地・建物とも世田谷区が借り受ける形で進められました。

そして1995(平成7)年4月に世田谷区文学館が開館し、その後2002(平成14)年にウテナとの売買契約が成立して世田谷区の所有となり、今に至っています。

資料はどうやって集めていかれましたか?

歴史資料館の一部に文学部門があり、その資料保管庫がいっぱいになったから文学館を独立させた”という話は聞きますが、当館の場合は建物の設計と同時に資料を集めていったところがありました。

資料の寄贈に関しては、開館前からチラシ等で募集をかけていました。
”世田谷区には古くから文学者が多く住んでいて資料の散逸を防ぐため”という意図をもって収集活動をはじめましたが、いざ作家のご遺族を訪ねてみると、お邪魔する先々で「あなた来るのが遅かったわね」と。
「資料は他の文学館さんに収めたので、おたくは3番目よ」というように、昭和を代表する文学者の資料の多くはすでに所蔵先が決まっていたのです。

ご寄贈が増えたのは、実際に建物が出来てからでした。保管設備の充実ぶりをご覧になった方々は「ここだったら預けたい」となって、建った後の方が寄贈のお話は進めやすかったですね。

質問2:常設展示に際し、他の記念館にはないユニークな品や見せ方などは何ですか

まず、ガラス張りと鉄骨をあわせた文学館らしからぬ外観が当時としてはユニークだったと思います。
展示に合わせて正面入口に大きなカッティングシートを貼ったり、1階の図書室やミュージアムショップでも展覧会にあわせた取り合わせをして、文学館全体で展覧会の雰囲気を感じられるように工夫しています。

余談ですが、隣のスポーツジムも同じ設計者による建物です。開発が同時期で、いくつか共用部材も使っています。よかったらご来館の際に外観を見比べてみてください。

それから「文学」という分野を扱うこと自体が、そもそも博物館の中で「文学館」をユニークな存在にしていると考えています。

「文学館」という分類についてもう少し詳しく教えていただけますか?

もともと文学に関する博物館は、作家の業績を顕彰する個人記念館として存在していました。

しかし、日本近代文学館(1962年に設立準備会発足)がオープンして、「文学館」という呼称が一般化しました。
作家個人の記念館では、歴史資料館としての性格が強いままでしたが、近代文学館は様々な文学者の資料を、総合的に収集保管、展示する。そして、資料を閲覧し研究もできる。
日本近代文学館は、博物館と図書館の機能を併せ持つ、“新たな博物館像”を示してくれました。

とはいえ、博物館業界の中では、相変わらず文学館は歴史分野の一つである、歴史資料館の亜種であると捉えられる場合が多いのです。
ですから当館も、初めからその問題を抱えて開館したわけです。

「文学館って何だろう?」本の表紙だけが、あるいは原稿用紙の1枚目だけがケースに飾られ、作品が読めない、内容が伝わらない展示方法でいいのだろうか?

「文学」の展覧会になるのだろうか?例えば、作家の著作である本を資料(もの)として展示するだけでなく、作家の思想や考え方を紹介することの方が、より「文学」を伝えることになるのではないか?・・・と。

展覧会をやりながら、文学って何だろう、これは文学じゃない、これも文学だっていう可能性をひろげて、見せ方も、資料がないなかでも工夫して文学作品が体験できるような装置を入れたり、出力シートでことばを大きくしてみたり、そういう工夫をしていますね。

「文学」というユニークな分野だったからこそ、そして「文学館」という、博物館の中では遅れてやってきた分類だからこそ、「来るべき博物館」を目指して、当館ではいろいろ挑戦してきたのだと考えています。

そのようにチャレンジができるのはなぜでしょうか?

当館は、開館初年度から純文学に限定せず、幅広いテーマで展覧会を開催してきました。
初代館長の佐伯彰一氏がアメリカ文学や比較文学を、現館長の菅野昭正氏がフランス文学を専門とされ、広い視野から職員を育成されていることは大きいと感じます。
挑戦を許してくださるんですね。

それから当館の学芸部では、係がなく職員を業務で固定しないんです。
歴史のある規模の大きい館では、資料収集保管・展示・教育普及の部門を分けることが多いと思います。

まだ歴史が浅い当館では、若手職員はあらゆる業務をこなせるように数年で担当が変わりますし、ベテラン職員は若手とチームを組んで、企画展を複数担当しつつ収集や普及を兼務する。
全員で行動することが多いため、会議では喧々諤々自由な意見を言い合っているのが現状です。

あとは、職員の興味の幅が広いこと、例えば国文の他に、歴史、美術、教育、映像といった具合です。

他にユニークな部分はありますか?

実は”常設展示”がない、というところです。
開館当初は、作り込んだ固定型の常設展示でした。2階に約500㎡の常設展示室、1階に180㎡の企画展示室。

それまで使っていた常設の什器を取り外し、展示室の用途が逆になった時に、狭い空間だからこそ小まめに展示替えが行えるようになったんです。

つまり、“常設展”ではなくテーマで企画を組む“コレクション展”へと変化しました。
美術館では通常のことですが、文学館の中では珍しいケースです。

質問3:開館当初の見せ方から変化した部分はありますか、もしあればなぜ変化させましたか

先ほどの話と重複するのですが、展示室2室の利用方法を変更したことは大きいです。
開館して5~6年を経たあたりから利用者数が増加し、狭い企画展示室では入場制限を考慮するケースが出てきました。
同時に、固定の常設展示室ではリニューアルが課題となっていました。

そして2006(平成18)年、開館12年目にして、開館準備時代に数年にかけて作り込んだ常設什器を“断捨離”して、展示室の逆転が行われたのです。
大きな空間となった企画展示室では、「不滅のヒーロー・ウルトラマン展」と「宮沢和史の世界」といった、「文学」の範疇を広げる展示が続きました。
ウルトラマンには脚本が、ミュージシャンの宮沢さんには歌詞があって、ともに「ことば」が表現を支えている。

開館当初から「『日本百名山』の深田久弥と山の文学展」や、「いわむらかずお絵本原画展」、「映画と世田谷」展など、純文学以外の領域に触手を伸ばしてきた当館だからこそ、特撮作品や音楽作品の展示に挑戦できたのだと思います。

そして現在では、吹き出しに「ことば」があるマンガも「文学」の領域にあると考え、マンガ展も開催しているのです。

他に大きく変わった場所はありますか?

次に大きく変えたのが、図書室です。
ここは利用率が低くて、ホスピタリティが弱かったんです。
机のレイアウトを変えたり、視聴覚ブースを増やしたりと何度か変更を加えたのですが効果が出ませんでした。

そこで、2016(平成28)年の全館改修工事の際、資料閲覧が主たる目的だった図書室を「本と人が出会う場」とし、乳幼児も絵本が楽しめる、ライブラリー“ほんとわ”にリニューアルしました。

場所以外に変化させたところはありますか?

展覧会や施設の変化以外にも、教育普及のプログラムなども大きく変わっています。

例えばジュニア世代向けの講座です。
開館当初は夏休み期間限定で、親子参加型の読み聞かせや映画上映、演劇上演などでした。
数時間の講座が終わるとそれで終わりとなり、子どもたちの成長していく姿を見続けることができない。
催事やイベントとしての位置づけで、教育プログラムとしての認識が弱かったのかもしれません。

その後、助成金等の外部資金調達の必要性に迫られ、魅力あるプログラムづくりに本腰を入れ始めたのです。
それまでは一回性のイベントであったものを、複数のプログラムを同じ仲間で長期間受講することで完結する連続ワークショプをスタートさせました。

「ことのは はくぶつかん」(2009~2014年 延べ1,036人参加)という講座名で、落語やダンスを体験したり、10m四方の巨大絵巻物や詩をつくってみたり・・・。
大人数で参加できるイベントと、この小人数の長期連続ワークショップを併用した結果、リピーターが増えていったんです。
そこで「ことのは はくぶつかん」を卒業した子どもたち向けに、野外でグループ行動ができる企画「子ども文学さんぽ」(2011~2015年 全39コース)を開発・実施しました。

昔話や民話が生まれた土地に出向いて、現地で読み聞かせ(それも子どもたち同士で!)をしたり、探検を楽しんだり・・・。屋内の読み聞かせとは異なり、野外体験が加わるので感動も倍増です!
そして、小学生の頃に「ことのは」に参加した子が、中学生で「子どもさんぽ」のボランティアとして年少者を助けるようになる。

イベント委託にはない、子どもたちの自主性も尊重できる長期の教育普及プログラムとなっていったのです。

質問4:続けていくにあたって苦労されていること、お困りごとがもしあれば教えてください

2003(平成15)年の地方自治法改正で、指定管理者制度が始まりました。
当館がこれまで変化してきた事例のほとんどが、その時期以降の内容です。
丁度、開館10年頃で組織が成長できる節目の時期でもあったのかもしれませんが、「公設民営」からくる職員の意識変化(危機感)によるところも大きかったと感じています。

とはいえ、指定管理では運営の委託期間が限定されます。10年、20年の長い物差しで結果をだすのでは間に合わない。
結果、集客が見込まれない企画は敬遠しがちになる、職員も動員が期待される企画展示に配属集中する、何よりリスクは冒せない・・・。

そして、社会状況の変化も厳しくなっています。
情報過多の時代では、自身が興味の無いものはブロックし、求める情報だけを取捨選択するのですが、繰り返すうちに興味の幅を狭めてしまう。

また、消費されるスピードも速いため、幅広い世代で読み継がれてきた名作文学が、短期間に“古典”の文学になってしまう。知識や興味の、幅と深さが狭く浅くなってきている気がします。

古典に対する問題について、詳しく教えてください。

美術展ならば、具象や抽象、古典や近現代を問わず、美術を好きな方ならば頻繁に美術館に足を運ばれると思います。
文学展になると、展示室の膨大な文字情報を読まなければならない。好きな作家ならまだしも、知らない作家となると足も遠のくのが常です。

国語の教科書に掲載されず、書店の書棚にも置いてない文学作品は、鴎外や漱石でなくとも、戦中・戦後の名作文学であっても、もはや“古典”として受け止められてしまう・・・。古い作品に興味がないから・・・、知らないから・・・を、社会全体で繰り返すうちに本が絶版となり作品が絶えてしまう。

ですから展覧会を担当するときは、今なぜその作家を取り上げるのか、その作家を知らない方々にいかに興味をもっていただくか、毎回苦心の連続です。

質問5:その他、ご来場の方々に何かお伝えしたいことはありますか

当館では、「文学を体験する空間」をキャッチフレーズに、様々な事業を行っています。

例えば1階コレクション展にある“自動からくり人形”。「ムットーニ」こと武藤政彦さん製作による「文学作品の上演装置」です。音楽、光、本人の語りなどが重なり合いながら、物語が表現されたもので、現在10作品を所蔵し一部を常時公開しています。

見ていただけると、心が震えて文学の感動をそこで味わえる、本を読むことではない、耳から聴こえてくる作家の言葉とか総合的な体験ができますので、是非、体感していただければと思います。


  • 施設の外観

  • 図書館の入口

  • 図書館の立て看板

  • ガラス張りと鉄骨が印象的な外観

  • 施設が人工池で囲まれていて、鯉が立派

見学した際の感想:

世田谷文学館には何度か行っていて、その時の様子も記事にしています
それを読んでいただければ何がおすすめかわかるのですが、今回のインタビューで初めて知ったのが、ムットーニさんのからくりがあんな風にバーンと置いてある理由。
「文学」を耳から目から体感してほしい、という明確な意図があったのですね。

この館のなんともいえない素敵さはその時から感じていたのですが、まだスタートしたばかりのこのインタビュー企画も即答で受けてくださり、学芸員さんや司書さんや受付の方も含め、在籍する方々会う方どなたもキラキラしていて御自分の考えで動いているのが印象的でした。

インタビューでは、行政の夢のプランとか、建物の収蔵装備のお話とか、コレクション展のお話とか、この10倍くらいのボリュームの興味深いお話を伺うことができたのですが、全部残らず入れ込むとさすがに読みづらくなるため、泣く泣く質問内容以外の部分をカットしました。

それでもまだ長文なのですが、あとはどの話も多くの博物館が抱える想いに通じるというか、私が抱える想いにも通じていて、古いもの、忘れられかけたものをいかに次世代に伝えるかに果敢にチャレンジしつつ、自分の館の存在意義もふくめて常に考え、答えを見つけ出そうとしている姿勢を是非読み取っていただけたらと思います。

お話にあった、子供向けのワークショップや見学の際に行なわれていた絵本屋さんによる絵本の読み聞かせ、本当に羨ましい。
家がもっと近ければ、我が家の子供達をどっぷり浸らせたいし、私ももっと通いたい!

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