公開日 : 2018/08/04

「ひきょう者はゆるせない」を読んで

我が家には、代々続く家系図のようなものはなく、父はあまり昔の話をしなかったため、母から聞いた範囲でしか知りませんでした。

ソニー技術の秘密』では、2章に比較的詳しく父の幼少期のことが書かれていて、興味深かったのですが、この自伝の2章にはさらに詳しく幼少期のことが書かれていました。

父が小さい頃どんなことをしていたか、両親のことをどう思っていたかなど、父本人の言葉でこうやって文章として残っているのは、普通はないことだと思うので、ありがたいなと思いながら書き起こしています。

父の両親、つまり私の祖父祖母の名前、知りませんでした💦
「きはらのおばあちゃん」などと呼んでいました。

祖父は私が産まれるずっと前に亡くなっているので、まったく知らなくて、顔写真も『ソニー技術の秘密』の中の1枚しか知りません。

祖父の名は「信和」と、「信」がついているんですね。

父も「信」がついていて、兄二人も「信」がついています。

祖母は7歳くらいまでは一緒に暮らしていたようで、記憶があります。
記憶の中のおばあちゃんは、竹久夢二さんの描かれる女性のような、色白でぽやーっとした、ほわーんとした雰囲気、はかなげな印象でした。
あとは母から聞いた祖母の話ばかりなので、父目線の祖母の話が知れて、すごくうれしかったです。
とても優しいお母さんだったんですね。

祖父が日本郵船に勤めていたことも本で知ったくらいなのですが、さらに祖母の父親がロシア領事館の外交官だったとは、まったく知りませんでした。

あの当時、そこまで家族中が外国にちらばっている日本人はとても珍しかったのではないかと思います。

そういわれてみると、我が家では私が小さい頃からロシア料理が普通に出ていて、お弁当にビーフストロガノフを入れるのが大好物だったり、シチューといえば白でも茶でもなく赤いイメージ(ボルシチですね)。紅茶はいちごジャムにブランデーを入れて飲むのが好きだったりと、結構ロシア率が高かったかもしれません。

パパ、ママと私も呼んでいますし、朝はご飯だったことはほとんどなくて、パンと紅茶。

母側の両親も新聞記者の父と神戸っ子でオシャレな母と、和服姿が想像つかない、非常に洋風な人達でした。
それぞれの祖父祖母達がそういった方々だったため、父も母も、かなり大陸的な発想の持ち主です。
それが当たり前だと思っていた私は、後々とても苦労するわけですが…。

とにかく、そういった環境のもと、父は世界的な開発をし、母は翻訳家になっていったんですね。

幼い頃、豪華客船に乗っていた話や上海に住んでいた話なども、一度も父本人の口から聞いたことはありませんでした。

父と海外旅行に行った時に、外国の方に対して、まったく動じない堂々とした態度だったのがとても印象的だったのですが、今思うと、こういった幼少期の経験が自信につながっているのかなと思います。

この章の中に「水雷艦長」という遊びについての説明がでてきます。

この箇所、やたら長いとお思いにならなかったですか?
私は、一体何の話を書き起こしているか途中でわからなくなってしまうほどでした笑

父についての自伝なら、幼少期の科学的な興味の話や、もっと後の発明につながる出来事について掘り下げるべきところだったのかなと思うのですが、そこは担当編集者さん(若い女性の方だったそうです)が「水雷艦長」のことを知らなくて、説明を入れるべきと判断してしまったんでしょうね。

逆に言えば、父本人が書いていなければ、こういった脱線した文章にはならず、多少創作でも発明のきっかけ的なエピソードが入ると思われるので、本当に父主体で、ある程度好きなように書かせてもらっていたんだろうなとわかり、面白くもあります。

それにしても、70年も前の話、よく覚えているなあ。

いくら相手がずるいことをするからといって、いきなり体当たりするのはダメだろうと思ってしまうのですが、まあ、そこは目をつぶるとして。

父が肩をいからせて、誰かをどなりつけたり、荒れ狂ったり、というケンカをするのは確かに私は一度も見たことがありませんでした。

上海時代に、家にお手伝いさんがいたと書いてあります。
その後、東京に戻ってからもいたかどうかはわかりませんが、少なくとも、私が産まれた頃にはずっとお手伝いさんがいました。

常駐していたかは定かではありませんが、名前は覚えていないものの同じ人だった覚えがあるし、まともに掃除洗濯片付けをした記憶がないので、おそらくお手伝いさんにやってもらっていたんだと思います。

お手伝いさんは各家庭にいるもんだろうと思っていた時代もありました。

決して我が家は、豪華で派手な生活をしていたわけではないのですが、先ほど書いたように大陸的発想の父母とか、お手伝いさんがいたりとか食事事情とか、ちょっと世間一般とは違うことが当たり前と思って育ったので、私はそのギャップにかなり苦労することとなりました💦
兄たちはうまく世渡りしているので、私だけもろに影響を受けちゃったんでしょうかね。

もう一つ、手作り料理のことが書いてあります。
私の母も餃子は皮から手作りしていて、私も皮作りを手伝うのが大好きでした。
私が、料理だけでなく、色々なものを素材から1から作るのが好きなのは、このお手伝いが楽しかったからかもしれません。
父は料理を手伝うことはめったにありませんでしたが、餃子の皮を作るのは必ず参加していました。
それにはこういった思い出があったんですね。
父も、こうしたちょっとしたお手伝いから、その後のテープレコーダー試作などにつながる創意工夫で1から手作り、の楽しさに目覚めていったのかもしれませんね。

さあ、餃子の皮、子供たちと作るかな笑