公開日 : 2017/08/02 | 更新日 : 2017/09/03

それぞれの父親

父は、著書『ソニー技術の秘密』において、自分の父親(私にとっての祖父)について多くを語っています。
私の父がどんな人だったかとあわせて、比べて書いてみます。
ちょっとややこしいのですが、父=私の父、父の父親=私の祖父、です。

私の父 | 父の父親 私の父
父の父親

私の父

どんな人だったか

私が覚えているかぎりの父は、とにかく温厚で、自分のことをペラペラしゃべらない人、趣味に没頭する人でした。


怒られた記憶はまったくないです。
そのかわり、褒められたりちゃんと相手にされた記憶もなくて、たまに2人で食事を食べにいったりすると何を話していいものやら、緊張するし気恥ずかしかった覚えがあります。
でも、自由に好きなものを食べさせてくれるので、2人きりの食事は大好きでした。
父は、一度気に入ると、同じものばかり食べるところがありました。
いまでも、あの店はこのメニュー、この店はあのメニューだった、と思い出せるくらいです笑

ただ単に温厚かというとそうではなく、一度、家族で海外旅行に行った際に、外国の人に英語で注意された時、「こちらは全く悪くないから」と強気で英語で言い返していて、そんな一面もあるのか~、と驚いた覚えがあります。

自信に裏打ちされた温厚さというか。

そんな一面を感じるからか、父に対して舐めた態度を取ろうと思ったことは一度もありませんでした。
逆に、弱気になった父や、恰好悪い父は見たくないと思っていました。


自分のことをあれこれ話す人ではなかったです。
同時に、人のことをあれこれ言うこともなかったです。
あまり人間関係に興味がないのかな?とも思えるくらいでしたが、それはあくまでプライベートの時の話で、後年、会社での様々な行事などの写真を見たら、やたら楽しそうにみんなと親しげにしていて、なーんだ、人懐っこいところがあったんだ!と気づかされました。
会社のことは何も語らず、私も社会に疎かったので、父がどんな会社にいてどんな仕事をしているのか、よくわかっていないところがありました。
だから、2016年に初めてちゃんと本を読んで、講演の音声を聞いたりして、ようやく父が何をしていて、何を考えていたのかを知ったくらいです。
子供にはわからない一面がたくさんあったということですね。


余計な贅沢をすることもなく、でも使うべきところにはお金を惜しまないところがあり、趣味は仕事、といった人でした。
のめり込むとそればかりするというのは、食事だけではなく、趣味もそうで、一度ゴルフをやると決めたらとことんやる。
そして、それがゴルフ・クリニックシステムというソニーの商品につながっていきました。
(詳細は『ソニー技術の秘密』P237に書いてあります)

エイリアン パート2

懐かしのゲーム画面。家族そっちのけでハマっていました

またある時は、ゲームにはまり(あらためて調べたら、PC-8001のエイリアン パート2というゲームでした)、家庭をかえりみず2年間、毎日数時間やり続けるありさまでした。
ちなみに嘘か本当か知りませんが、このゲームの作者(おそらく中村光一さん)と父は知り合いだったそうで、それゆえ最後がどうなるかを知りたいと頑張っていたそうです。

子供と遊び

私が幼い頃は、父は海外に出張することが多く、行くたびにその土地の最新の玩具を見つけて買ってきてくれた覚えがあります。
まあ、大抵は私のためというよりは、自分のために買ってきていたようですが笑

それから、おそらく会社の市場調査の一環としてだと思うのですが、家にはソニーの試作品やら最新機器が常に転がっていて、それらを自由にいじって遊ぶことができました。

AIBO

私はこの子が一番好きでした!

例えばAIBOというロボット犬?が世間で話題になっていた頃には、家に試作機から最新型まで4匹くらい揃っていて、おバカ丸出しの子達が同時に伸びたり頭を振ったりしていました。

8㎜ビデオカメラも最新のものを持っていたので、私は学校でいつも撮影係になっていました笑

今考えると相当贅沢な面白い環境に囲まれていたのですが、その中にいる時にはそうとは気づかないものなんですよね。

人生を楽しむ達人だったかも

父を思い返すと、いつもご機嫌で、嬉しそうで、ワクワクしている印象はありました。
そりゃあ、自分の好きなことをして、それが世の中のためになり、人から認められて敬意を払われていたらあんな風にもなるよ、とも思うのですが、どちらが先だったのかな?という風にも思います。

もしかしたら、そういう風だったから、運が巡ってきて世の中のためになる物が開発できたのかもしれません。

というのも、父が何か楽しい話をしている時は、まるでキラキラしたパウダーが全身に降り注いでいるような感じだった様子を思い出すのですが、最近、父の部下だった技術屋さんに何名かお会いしてお話を伺っている最中にも、同じようなキラキラを感じたのです。

好きなことをやって、楽しみ尽くした経験のある人がまとうことのできるらしい、キラキラパウダー。
私もまとってみたいものです。

父の父親

どんな人だったか

“東神奈川自宅付近にて 父に抱かれて” (「ソニー技術の秘密」P72)

父の父親は、子供の頃は将来技術者になろうと工学系の学校に進学するつもりだったようですが、肺を患って無理な勉強をすることができなくなり、諦めて早稲田大学の商科に進んだそうです。

その後、日本郵船株式会社に入社し、仕事で渡航も多く、父も3歳頃から7歳までに3回船旅を経験したそうです。

戦争が始まってからは、家族で東京に住んでいたようで、東京大空襲によって住み家が焼失し、無一文の状態になりました。

もともと無理できない体なのに無理をしすぎるところがあったようで、最後もそのせいで亡くなったようです。

子供と遊び

父の父親は、父が欲しいものは何でも買ってくれ、おねだりしたこともないのに、鉄道模型でも、組み立て玩具でも、当時の輸入の最新のものを見つけてきて、嬉しそうに箱を開けて使い方を教えてくれたそうです。

ただ、父と同じく、父の父親も結局は自分が触りたいために機械の精巧なおもちゃを買ってくれていたようです笑
かくいう私もそういうところがあるので、技術屋魂の性なのかもしれません。

人生を楽しむ達人だったかも

父も、手先が器用で運動神経がよく、年よりもずっと若々しい印象でしたが、どうやらそれは父親ゆずりだったようです。
父の父親は父が20歳の頃亡くなったというのでおそらく40代で亡くなっていると思うのですが、何でも器用にこなし、様々な趣味をたしなんでいたそうです。

例えば、中国に暮らしたこともあって、絵画彫刻に非常に興味を持ち、独学で書道師範の資格を取って、普通の人には読めないような篆書文字を浮き彫りに彫り上げたり。

他には、写真撮影と現像・引き伸ばしなどを、部屋を現像専用に改造してすべて自ら行っていたそうです。
よく『朝日写真年鑑』に応募して、毎回のようにその引き伸ばし応募写真が当選しては掲載されていました。

その芸術的造詣が深い父親の、もう一つの側面は、運動神経が素晴らしくよいところで、鉄棒でもなんでも運動選手顔負けの技術を持っていたそうです。

幼い父の鉄棒の練習のために、なんと家の庭に砂場と鉄棒を作り上げてしまい、教え始めたことがあったとのこと。
父はそれから毎日のように逆上がりの練習をさせられ、手にマメができるほど頑張ってなんとか上がることができるようにはなりましたが、次の目標の大車輪はギブアップしました。

当時、父の家にはテニスと卓球の優勝カップや楯が、20本ほどピアノの上や床の間に並んでいましたが、それは父親の社内対抗の戦利品のようでした。
それらも戦争たけなわのころには、貴金属供出ということで、すべて姿を消してしまったそうです。

戦争も経験し、すべてを失い、若くして亡くなりましたが、趣味も仕事も、自らの器用さで上手くこなし、結果を出せていたわけで、自分の能力を活かして、人生をとても楽しんでいたのではないかと思います。