公開日 : 2018/09/05

シンプル(いま)でありつづける

私が、ことをこじれさせる代表格が「余計なことを気にする」。これです。

これに尽きると言っても過言ではありません。

これさえなければ。
もっとシンプルにしていれば。
こじれてから、しまった、と何度思ったことでしょう。

まだ起きてもいない現象に対して、妄想し、おびえた反応をしてそれに従ってしまう。

例えば何かを発送する際。
迅速に安全に発送するのが第一なはずなのに、すぐに「その配達だと損かもしれない」「入れる箱が大きくてお金がかかる」とうだうだはじめてしまい、時間ばかりかけてしまう。

例えば家の棚の直し。
それをした方がいいと瞬間感じたのに、すぐに「それだとお金がかかりすぎる」「それよりも先にやることがあるよね」「余分に出たゴミはどうする」とよぎってしまい、一番したほうがいいことが曇ってしまう。

でも、そのダメな理由って、どれも所詮妄想にすぎないわけで。
実際やってみたら、どの不安も杞憂だったということは大いにありうるのです。

わかっているのに毎回そんなことの繰り返し。

余計なことが頭をよぎってそれをつかまえてしまう。

とにかくシンプルじゃない。

いま、父の自伝を書き起こしていて、あらためて父のことを思い出すと、そういった余計な妄想で取り乱した態度を見せたことは一度もありませんでした

当時は当たり前に接していましたが、これってすごいことです。
そうそうできる人には出会ってないです。
(実は身近に一人いるのですが、シンプルにできない人に対しての許容がなさすぎてしょっちゅう大爆発するので、いま一歩 笑)

そして、その部分こそが、何かを成せているか成せていないかに関わっているのではないかと思うにいたりました。

父と私は気質が似ているところがあるのですが、その一点が決定的に違うところです。

逆にその一点がなおれば、私も世の中に役に立つ人になれるかも!

身体のせい、出自のせい、年齢のせい、性別のせい、人種のせい…
前にあんなことがあったから。先にこんなことがあるかもしれない。誰かにこう言われたから…

父みたいなシンプルを極めた人は何があろうと迷いもなく突き進めるわけですが、そうじゃない今の私みたいな人はこのような様々な理由で反応して立ち止まってしまいます。

私が今一番反応してしまうのは、先の例でもわかるように、どうやらお金、です。

お金なんて、架空の代表格みたいなもので、そんなものに足をひっぱられているのはなんてもったいない!と頭ではわかっているのですが…。

お金が減っていく、損かも、という気持ちがよぎってしまうと、どうにも不安になってしまうんですよね。

思いは通じるわけで、強烈な不安はすぐに現実化します。

不安になると実際に急速にお金が減り始め、そのことばかり考えるようになり、ますます減る…という悪循環に陥ることに。

さらに悪循環は、本来持っている気質にも影響してきます。

もともと、私は手作りやリサイクル、リメイクが大好きで、ポイントカードを貯めるようなこまごました行為も大好きで、景気が良い時は楽しんで前向きに行っていたはずなのですが、気づくとケチケチしてネガティヴに変化していました。
無駄が出ると不機嫌になったりして。
ポイントカードを忘れたから買うのやめたりして。
不必要なものが捨てられず、必要なものが埋もれてしまい、家中ごっちゃごちゃ。
いつまでたっても片付かない。綺麗にならない。
本来良いはずな私の気質が、悪い方に発揮されてしまっているのが明らかです。

ネガティヴな妄想にとらわれている限り、この悪循環は止まらない。

こうやって分析はできるけれど、では一体どうしたら治るのか。

すぐに治したい。もう待ったなし。

日々繰り返される選択の場面で、どうしたらシンプルな方を選び続けられるんだろう???

シンプルではない方を選んでしまうのは、100%、自分の内部のネガティヴ要素が関係しています。

以前のコラム「新案(情熱に根負け案)を採用してみます。」で、ネガティヴ要素には内部からと外部からが存在し、私は自分の内部のネガティヴ要素を払拭したとさらっと書いていましたが、まだまだ残っているようです。

ただ、そんな自分の内側にずっと存在していた根深いネガティヴ要素にはっきり気づけるようになったのは、外からのネガティヴ要素に対して気づいて対処することができるようになってきたからかもしれません。

どんなネガティヴなことが起きようとも「うわー、どうしよう」ではなく、相手のせいでも、自分のせいでもなく、「あ、これ、意識(情熱)を試されてるな」。

でもこれは結局のところ問題が発生した後の対処法でしかないわけで、せっかく意識できるようになってきているのに、なんだか頻繁に問題が起きているのはなぜだろう?と考えた末、ことをこじれさせる原因が「私が余計なことを気にするからだ」と気づきました。

シンプルに物事に突き進んでいる時は、驚くほど順調に進むのが実感できます。
父もきっとこうやって数々の開発を成功させたのでしょう。
ソニー技術の秘密』の中で、こういう時のことを「素性が良い」と表現しています。

コラム「はじめの一歩が踏み出せない」でも書いていますが、ネガティヴ要素って本当に巧みで、本質をつかもうとする私の試みに対し、あらゆる手をつかって尻尾をつまかせまいとしてきます。

そしてどうやら、ネガティヴ要素はシンプルも大嫌いなようで、シンプルじゃない無駄な行動が、いかに大切で必要なことかを毎日毎時間毎秒、私にささやき続けてきます。

反対に本当に大切で必要なことは、いかに無謀でつらいことかをささやくのです。
ちょっとでも本当にやるべきことについて考えると慌てて「いまはまだその時じゃない!」と叫んで全力で阻止してくる。

もう擬人化したいくらい。「来たな、ネガっち!」みたいな。

そんなネガっちに従い続けた20数年でした。
もう親友?いや、いらないし💦

実は、その宿敵ネガっちを消す方法を、つい数ヶ月前の私がコラム「いま!の2018年ゴールデンウィーク」で書いています。

それは「いまを意識すること」。

私はそれを実践しようとしていました。
で、そのことをすっかり忘れていました。
全っ然続かなかった。実験失敗。

スマホでニュースを読むのも、時間の無駄なのでやめます!と書いていたのに、気づけば常習に戻って、依存症になっていました。

ネガっちはそんなに簡単に消えてくれるほど、甘くはない。
だてに20数年ささやき続けていません。

いまを意識すること」も理想のあるべき姿なのですが、「わくわくする道を選ぶ」と同じく、初心者が言葉そのままにやるのはどうやら無謀なことなようです。
どちらも、ネガっちにあっさり打ち負かされてしまいます。実践済。

いまを意識すれば、過去や未来や余計なこと考えなくてすむ、と気づいたはずなのに、すっかり忘れてしまっていた。

なぜ忘れていたか。

初心者な私には、その行為が全く楽しく感じられなかったからです。わくわくと一緒。
人は、本気でそれをやりたくて仕方がない!という状態になっていないと、やり続けてくれません。

おそらく「いま」にいることよりも、あれこれ余計なことを考えたり、他の人のニュースをぼーっと読んだりするほうが楽しいと私の心が判断してしまっていたのでしょう。

それこそ、ネガっちが持つ、最終最大の奥義。
自分を消してしまう仕組み「いま」を”つまらない”と思わせてしまうの術。

この術にどうやって打ち勝てばよいのか。
どうやったら飽きずに忘れずに、いまにいつづけられるのか。

人は、本気でそれをやりたくて仕方がない!という状態になっていないと、やり続けてくれないと書きましたが、いまにいつづけるにも、やはり、やりたくて仕方がないと思い続けるしかありません。

どうやったらいまにいつづけたくて仕方ないと思えるか。

心底、もうネガっちに従うのが嫌だ!二度と嫌だ!と思うこと。
すぐに治したい!もう待ったなし!と深く思うこと。
それがネガっち脱却の第一歩です。

つまり、今の私。

このところの衝突の日々に対し、自分の道の行き詰まりに対し、心底辟易したので、さすがにネガっちの存在に気づくことが多くなってきました。

ネガっちの存在に気づくということは、つまり、いまにいるということ。
過去でも未来でも妄想の世界でもなく、「いま」自分自身が自分に対して「そりゃおかしいでしょ」と思えている瞬間。
まぎれもなく、シンプルでいる瞬間です。

その状態が楽しいか?といわれると、初心者にとってまったくもって楽しくないです。
キーボードを見ずに一文字だけ正確に打てたような状態。
だからそれで?な状態です。

「いまが楽しくて仕方なくなる」なんて、超上級者の状態であって、完璧にブラインドタッチできるようになってパソコンを楽しむようなもので、いきなりそれを望んではいけません。

「いま」は究極のシンプルだから、すぐ飽きちゃう。

問題があったりすると、自分にあるネガっちに気づきやすいので、飽きずに「いま」にいられるのですが、平和が戻ってくると、すぐにネガっちに従いはじめてしまいます。

今の私はここ。
平和な時に妄想に無防備なせいで、いつまでたっても問題勃発から逃れられないわけです。

大きな出来事でネガっちに気づけるようになったら、次の段階として、ちょっと難しい、平凡で平和な日々の活動の瞬間にも「いま」を感じる訓練がはじめられます。

ふとすると、ネガっちが一見ポジティヴな妄想をよこしてくる。
…「いまの空いている隙に、向学のために携帯で何か調べものしてみたら?」

聞いちゃダメ。

ただただいまでありつづけること。

髪を洗う時の目的は髪を洗うことで、いまの意識は髪を洗うことに全力でいっているはずですが、初心者は「風呂から出たら洗濯しよう」とか、「あー、髪切らなきゃ」とかふと考えてしまう。

それは関係ある妄想だからいいって?

いったんその一歩を許してしまうと、リンス買い替えるついでに歯ブラシも買わなきゃとか、そういえば歯医者であんなこと言われて嫌だったとか、そのままあらゆる妄想の連鎖にとりつかれ、ネガっちが暴走するがままに、完全にいまやっていることを見失ってしまう。

ちょっとも許しちゃダメ。
次にすることを考えたとしても、すぐにいまに戻ること。

訓練は全く楽しくはないんだとはっきり自覚した上で、それでもいまにいることに慣れるべく、本気で全力で、いまでありつづけるべし!なのです。

きっと慣れた先には、シンプルで楽しいことが待っているにちがいない、です。