公開日 : 2018/07/16 | 更新日 : 2018/08/17

わくわく=ブラインドタッチ、説

私は、幼少期から伝記を読むのが大好きで、ずっと参考にしてきたのですが、20代前半に痛い思いをして以来、「自分にはこんな人達みたいなやり方では人の役に立つことはできないんだ」という、思わなくてもいい考えに到達し、以後永らく「自己啓発本」や「精神世界本」が愛読書になっていました。

ネガティヴな壁を突破できないで苦しんでいる人にとって、自己啓発本や精神世界本、それから、ありとあらゆる宗教もそうですね、そういう教えって、本当に救いの手だと思います。

わらをもつかむ、です。

私は、母が精神世界の探究者&研究者だったので、そのおかげで、10代の頃、1986年とか1987年くらい、30数年前というかなり大昔から、今ようやくあやしいとは思われない世界になってきつつある、ニューエイジ系、精神世界系、具体的には、エドガーケイシー、バシャールなどの本や資料が身近に、手に取れる状態にあり、表面のことしか教えない学校や社会に比べて、深い疑問にまで一貫した答えが出ているそれらの方が真理なんだろうなぁと子供心に漠然と思いつつ、伝記とあわせて、その真理に沿って実験するなど、自分らしいはちゃめちゃな学生時代を過ごさせてもらっていました。

でも、20代になって悩める人間に変身した私にとって、それらの精神世界本は「真理を教えてくれる本」とは別の意味を持ち始めたのです。

つまり「悩みの答えが書いてある本」。

体が不自由だとか、虐待されていたとか、世の中には様々な悩みを抱えている方がいるでしょうが、私にとっての唯一最大の悩みは「自分の進むべき道がわからない」、これでした。

そりゃあ他にも、目が良くなりたいとか、お金がもっとあったらとか、見た目が良くなりたいとかこまごまありますよ、もちろん笑。
左足も生まれつき太さが違って、何度も手術を繰り返して、麻酔事故で記憶障害になって、足に傷跡があってみたいなこともあるのですが、私にとっては悩みのうちに入ってないです。
これらは人生に影響を及ぼす悩みというほどでは全くない。

でも「進むべき方法がわからない」、これは私の人生に影響を及ぼす大きな悩みだったわけです。

その悩みの答えとしてよく書いてあったのが「わくわくすることをしなさい」です。

その後20数年、自分なりに「わくわく」を追求して、幸せな道を歩んできたのですが、本当の自分らしさがほっぽらかしになってしまっていたのには全く気づきませんでした。

実は「わくわく」を勘違いしていたことに、気づいていなかったのです。

悩める人の指南書である「自己啓発本」や「精神世界本」。

そちらはそちらで「伝記の盲点」とは別の盲点があるんですよ。

「わくわくする方向に進めば、自分らしく生きられ、結果的に世の中の役に立つ、本来進むべき道が見つかる」

こんな風に書かれた本を山のように読んで、なるほどそうだよな!って頭でわかっているのに、その道を実際に歩めない。

こういう人、それこそ山のようにいると思います。
これを読んでくださっているあなたもそうではないですか?
もちろん私もそうでした(ここ、まだ現在進行形かな💦)。

どの伝記を読んでも、みーんな、その人にとってのわくわくすることを突き進んだ結果、その人らしい人生が歩めているので、この言葉は真理なんだと思います。

それなのに、なんでそれを実践できないのか。
20数年ずっと理解できなかったのですが、今、退路を断たれた状態まできて、ようやくわかりました。

「わくわくすること」と「自分らしく生きること」が、道の歩みはじめは、まったく一致しないから、なのです。

一致しないもなにも、真逆か!と思うくらいです。

ネガティヴ要素って、思い出しても感心するくらい、巧妙に道を阻止してきます。

本当に手を変え品を変え、です。

ある時は教授に憑依し、ある時は信頼している人に憑依し、驚くくらいの罵詈雑言をはかせます。
ある時は、くじけるくらいの大失敗、がっかりしてしまう出来事で阻止します。

ここでちょっと目をそらして、「自由に自分らしく、ではないけれど、わくわくはする」の道を覗いてみると、すごく魅力的で、行く手も阻まれず、誰にも阻止されない道だったりするのです。

退路を断たれていなかった今までは、そっちが正解かもと、楽な道を選んでいました。

今の私くらい、もう他の道がない!というところまで追い詰められなくても、気づければいいのですが、そうならなかったのは、「わくわく」を道選びの基準にしてしまっていたからだと気づきました。

いま巷に出回っている「自己啓発本」「精神世界本」の多くが「わくわくすること」を基準にしろって書いていません?

それは真理です。
真理なのですが、かなり上級者コースだといいたいです。

「あなたにとって今、一番わくわくすることって何ですか?」

こう聞かれて、喜びいっぱいできっぱり答えられる人は、壁も気にせず天然無垢のまま育つことができた人か、壁を乗り越えたことのある人と言い切れます。

パソコンを上手に使いこなしたいと思って、上手な人に聞いてみると高確率で「まず、キーボードをブライドタッチできる(見ないで打てる)ようになったらいいよ」と言われると思います。

私も、そう勧めます。

キーボードは自分の想いを形にする道具でしかないので、いちいちキーボードを見てゆっくり打つような余計な動作をしていたら、大事な目的に集中してとりかかれないと知っているわけです。

でも、それを真に受けて、超初心者が上級者のようにブラインドタッチしようとするとどうなるか。

キーボードを見て打つよりも、誤字脱字だらけとなり、いつまでたっても上達せず、目的のことができないまま。
「自分には無理なんだ」とパソコンをやろうとすること自体をやめてしまう一因となりかねない。

これが「わくわくすること」と全く同じだと思うのです。

つまり、できるようになっている人のやり方を、そのまま初心者が実践するのは危険ということです。

では、どうしたらいいか。

ブラインドタッチに関しては「キーボードを見ないようにする」よりも、
左手の「F」、右手の「J」のところにある突起(ホームポジション)に必ず人差し指が戻るようにする。
こっちの方が大事なポイントなのです。

ブラインドタッチ初心者は、常にホームポジションに戻るという意識を体に覚えさせることが第一歩。
目を離すのはその次です。

本来の道を見つける方法に関しては「わくわくすることに従う」よりも、
ネガティヴな壁をものともせず、自分をつらぬくこと
こっちの方が大事なポイントになります。

本来の道を見つける初心者は、常に自分をつらぬいているという意識を体に覚えさせることが第一歩。
わくわくに従うのはその次です。

道の歩みはじめは「わくわくするかどうか」で選ばず、「自分をつらぬいてるかどうか」で選ぶ。

「わくわくするかどうか」でいきなり正しい道を選べるのは、ホームポジション(自分が何をしたいのか)が体に叩き込まれた人、つまり壁を乗り越えたことのある上級者か、ねじのはずれた天才かだけです。

わくわくセンサーに慣れていない初心者は、確実に道を間違えます。

そのくらい、ネガティヴ要素って巧妙なんです。
真面目な人ほど、うちひしがれて、本来のわくわくを信用しなくなってしまいます。
心優しく繊細な人ほど、怒り狂った人に根負けして、本来のわくわくを否定してしまいます。
そして、わくわくの質を変えてでも、いやな思いをしない方を選ぶのに慣れていってしまいます。私みたいに。

わくわくに慣れた人、ブラインドタッチに慣れた人なら「簡単なことだよ!」って言えるのですが、数十年まったく正しく使ってこなかった「わくわくセンサー」を正常に動かすのって、並大抵ではないです。

まず、悲しいくらい自分が何にわくわくするかわからなくなっています。

たとえ、わくわくしたとしても、それが自分が心から嬉しいのか、それとも人が喜んでくれるから嬉しいのか、もう区別がつかない。

逃げて楽でわくわく、ということすらよくあることなので、本当にそれがやりたくてわくわく、なのかも見極めなきゃいけない。

ただいま絶賛リハビリ中なわけなのです。